『かまぼこつみき』をごぞんじですか?玩具としてだけではなく、インテリアにもなる『かまぼこつみき』をご紹介します。
かまぼこの歴史はとても古かった
おとなもこどもも好きな人が多い『かまぼこ』。その歴史は古く室町時代中頃にはすでに書物に記されていたとか。
(『小田原市地場産業振興協議会』HP:http://www.odawarajibasan.jp/kamaboko/history/参考)
その書物には、『かまぼこは蒲のほこに、にせたる物なり』と書かれていたということから、かまぼこという呼び名は、植物の『蒲の穂』に似せてつくられていたからということがうかがえます。
さて、『蒲の穂』といえば茶色ということを考えると、当時のかまぼこは茶色、つまり焼いて茶色くなったものであると想像できます。おそらく魚のすり身を木や竹の棒などに塗り焼いたものだったのではないかといわれているということです。なるほど、それなら蒲の穂にそっくりですね。
現在のかまぼこになったのは
その後、板につけるようになったのは、いつの時代かということは定かではないものの、室町時代の書物には、『板に付やうはかさをたかく、(中略)あぶりやうは板の方よりすこしあぶり』との記載があったとか。
そして江戸時代末期には、蒸しかまぼこについて、書物に『三都ともに杉板に魚肉を推し蒸す、けだし京阪にては蒸したるままをしらいたという多くは蒸して後焼いて売る、江戸にては焼いて売ることこれ無く、皆蒸したるのみを売る』と書かれているものがあったそうです。江戸では、このころから蒸したものが主流になり、特に小田原式のかまぼこは、江戸好みの代表となり発展したということです。
小田原出身の二宮尊徳は、かまぼこを手土産に使ったということが、江戸末期の日記に書かれているのだとか。きっと喜ばれたことでしょう。
何といってもかまぼこは、魚のすり身でできていることからわかるように、原魚の持ち味が風味豊かな高タンパク質の食品ですから。
小田原産かまぼこ板
そんなかまぼこの板には、小田原の森林から採れた木材でつくられているものがあります。
さらに、そのかまぼこ板を『つみき』に加工した商品もあります。
『つみき』といえば、子どもの知育玩具のように思うかもしれませんが、素朴な色で着色された『かまぼこ板(かまぼこつみき)』は、インテリアにしてもおしゃれ。仕事に疲れたときなどに、ほんのわずかな時間でも、ただ木を高く積み重ねていくことだけに集中すると、仕事モードがリセットされ、なんとも言えないリラックス感を味わうことができたりします。
つみきの色は、どの色も小田原にちなんだ色名がついています。優しい色合いにみているだけでも心が和みますよ。
『かまぼこつみき』は、本ホームページのショップからご購入いただけます。
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