2021年4月5日(月)に、2003年~2011年、神奈川県知事を務められた松沢成文先生の「北条五代 奇跡の100年」出版記念講演会に参加しました。
関東では北条氏
コロナ対策がしっかりとされた中で、北条五代の活躍を、わかりやすく解説してくださいました。
ところで、戦国時代といって頭に思い浮かぶのは、やはり戦国時代を終結させた三英傑。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三武将ですよね。
確かに関東、特に東京(江戸)は、徳川家康によって大きく発展してきました。
しかし、戦国時代の関東では、北条氏の活躍にも目を見張るものがありました。
北条氏の活躍
1495年に小田原城を拠点として関東一円を支配し、関東において理想的な国をつくろうとした北条氏は、歴代当主のもと、着々と力をつけ、小田原を政治、経済、文化、そして産業も繫栄させていきました。
しかし、四代氏政、五代氏直の時、秀吉軍の攻撃を受け、籠城の末、開城し、北条氏は滅亡してしまいました。
このとき、小田原城に籠城した北条の軍は、なんと町全体を取り囲む総構えを築き、民衆をすべて守るという策を講じたのです。
なかなかできることではありません。
松沢成文先生著書『北条五代 奇跡の100年』は、このような北条氏の活躍が大変わかりやすく書かれています。
北条氏の力を脅威に感じていたからこそ、秀吉軍は多大なる包囲網を張り、北条氏を攻めました。
まとめ
1590年。
今では『小田原征伐』として語られている秀吉の小田原攻め。
のちに秀吉が小田原城で家康に関東を与えると言ったとか、言わなかったとか・・。
いずれにしても、戦国時代は『目の上のたんこぶ』は、『目の前から見えなくする』方式だったようです。
果たして、それが妥当な策なのか、現代に置き換えるなら、どのような策を練るのか。
松沢先生に伺ってみたら、楽しいお話が返ってきそうです。
参加させていただき、ありがとうございました。
こちらのサイトに『小田原征伐』が記載されています。
ぜひ読んでみてください。
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