7月3日(土)に第25回グループディスカッション練習会を開催しました。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。
グルディス練習会への登録メンバーも増え続けております。より多くの練習会を開催できるようにしていきたいと思っております。
将来何になりたいか
これまで皆さんは、いろいろな機会に、「将来は何になりたいの?」「将来の目標は?」「将来就きたい職業は?」などと聞かれてきたことと思います。
その都度、何の迷いもなくひとつの職業を言うことができた人もいれば、何になりたいかなんてわからないという人もいたでしょう。
それでも学校では、なんとなく職業を答えなくてはいけない気がしていませんでしたか?
なんだか少しおかしな話ですけれど、無理やりなりたいものを探した、なんていう人もいたかもしれません。
先生やおとなの願い?
皆さんはこれまで、小学校、中学校と学校に通って、いろいろなことを学んできましたよね。算数、国語、理科といった教科、道徳や運動会、どれもみんな学校での学びのひとつひとつです。
そういった学校での学びには、それぞれ目指す目標があって、先生はそれに照らし合わせて指導をしているんですね。
もちろん皆さんも、勉強やスポーツをするうえで、次はこれを覚えよう、これができるようになりたいと『目標』をもって取り組みますよね。それと同じようなことです。
それでも、いろいろな事情で、あまり学ぶ意欲がわかなかったり、やる気が出なかったりすることもあるので、先生は子どもたちに、ここまでやってみようとか、これをクリアしてみようという目標をもたせて、努力して欲しいと願うわけです。
学校でよく聞かれた「将来何になりたいか」という問いも、なりたい職業を子どもたちが自覚することで、勉強やスポーツなどをがんばってほしいという願いがこもっているように思います。
ですが、これには少し注意も必要です。
やってみなければわからないこと
自分のなりたいもの、やってみたいこと、将来就きたい職業などを思い描いて目標を持ち、努力することは、とても素晴らしいことです。そしてさらにその目指していたものになることができたり、達成できたら本当にすごいですよね。
けれど達成できた、目指したものになることができたけれど、何かしっくりこないということがないというわけではありません。
物事はやってみないとわからないことなど山ほどあるからです。
仕事もそのひとつですね。
例えば先生という仕事。
私は教師という職業は『子どもに勉強を教えたり、一緒に行事をしたりする仕事』と思っていました。
ところは、実際はそれだけではありませんでした。むしろそれをするために準備する教材研究や保護者との関り、事務的な仕事、私の想像していたものとはちがうことがたくさんありました。
ちがうと思ったら修正すればいい
私の周りでも、同期で教員になりましたが、担任が変わる次の年に辞めたという仲間もいましたし、数年後、やっぱり向いていないと辞めた人もいました。
また逆に、一般企業から教師に転職してきた方もいらっしゃいました。
小学校教諭から、保健室の先生の養護教諭になられたかたもいました。
やってみないとわからない。
実は当たり前のことです。
それでも一度就職したから、続けないといけない。目標を叶えるために努力したのだから、手放してはいけない。
本当にそうでしょうか。
続けることも、続けないこともどちらがよいということは、誰ものわからないし、自分にもおそらくわからないかもしれません。
けれど、現状をよい方向に変えようと動くことができるのは自分しかいません。
いつも、自分の心が喜ぶほうに・・・。
心の声を聴くことができるゆとりをもっていてほしいと思います。
そして何よりも、これから自分の仕事を考えている皆さんは、やってみないとわからないことはたくさんある、違うと思ったらやり直せばいいという考え方もあるということも、頭の片隅においておくのもよいかもしれないなあ・・と思ったりします。